私がシンママスタートだったことを、他の記事に書いたと思います。
シンママ時代やこんな私でも幸せになれた私の話。1つの例として紹介します。
現在、シングルマザーの人やこれからシングルマザーになる予定の人。
シングルで子育てしていけるかな。大丈夫かなと不安は大きいと思います。
私も、シングルマザーの時やっぱり、人からは良く見られないのかなとか、
他の友達が結婚・出産とステップを踏んでいくのに
自分だけ取り残された感じがして悲しくなったこともあります。
周りに未婚でシングルマザーになった友達もいなかったので、
周りに相談できず、一人で色々悩んだ時期もありました。
シンママスタートだって、幸せな人はいるし、
私の経験から何か学べる事もあるかな、誰かの役に立てればいいなと思って記事を書きました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
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未婚のシンママになっても働きさえすれば、大丈夫。
自分でこどもを20年間責任をもって育てる。
未婚のシンママがそう思えたのは、
看護師免許をもっていたから。
過去の私よ、本当にありがとう。これからも資格を大切に使います。
乳飲み子を抱えて、仕事復帰は大変だった。
仕事の合間に乳が張る、搾乳をしてまた仕事に戻る。
すごく痩せた。元の体重から-7㎏になり、産後太り一気に解消。(笑)
よく周りにこどもが居るお母さんとは思えないねと言われていました。
仕事を本気で頑張ってよかった・良き先輩達との出会いにも感謝
早く復帰したのは、経済面の心配もあったが、実は希望の部署に配属されていたから。
私が所属していたのはICU(集中治療室)だった。
そこには、認定看護師先輩たちがいました。
先輩たちが色々教えてくれ、自分でも勉強を頑張った。
呼吸療法認定士資格を取得。(呼吸管理に関わる医療職を対象に呼吸療法に関する専門知識とスキルアップを目的に作られた資格)
NST専門療法士に合格。(臨床栄養に関する知識と技能を活かして栄養管理を行う専門家)
もちろん、一発合格です。
学会発表にチャレンジ、勉強会にチャレンジ、看護系雑誌の執筆をやったことも。
これは、みんなに声がかかるものではなく、
自分の頑張りを認めてくれる先輩からのプレゼント。
選んでくれたことに感謝して頑張らなきゃと必死に頑張った。
沢山の本や論文を読んで知識をインプットしなきゃいけなかったし、
ライティング技術もない
大学を出てなかったし、統計学も知らない
私は先輩や編集者の方に助けられながら、何とか乗り越えました。
色んな経験を積むチャンスをつかんで、本当に自分はラッキーと思った。
仕事が好きでとても充実していた時期だと思う。
その時に出会った先輩が本当にすごい人だった。
全国で公演などをしている認定看護師、私より時間がないはずなのに趣味でサーフィンをやっている。
スタートは介護施設のバスの運転手だったという変わった経歴だった。
その人の話を聞いて鳥肌が立つほど感動した。
仕事だけではなく、プライベートも充実しているなんて、カッコイイ!とすごく憧れた。
私も仕事もプライベートも充実させたい。忙しいは、何かチャレンジを諦める理由にはならない。
やる人はやる、時間は自分で作るものなんだ。
一度きりの人生、何でもチャレンジしてみよう。
今は、職場を退職したので会うことも、連絡することもないけれど、
私の憧れた認定看護師の先輩から学んだことは多かった。出会えて本当に感謝です。
趣味を見つけて良かった。ストレス発散は育児の味方!
マラソン大会はイベント化されており、沿道に沢山の応援の人がいてお祭りみたい。
職場の同僚がマラソン大会に出ているのを見たとき私も出てみたいと思いました。
それがきっかけで、スポーツジムに通い、
「初心者ですが、マラソンが走れるようになりたいです。」
とインストラクターのお兄さんに教えてもらったり、
マラソンをしている同僚たちから情報を得て、トレーニングを始めました。
ハーフマラソン大会に1年間で4回出場し、すべて完走。
(沖縄マラソン・尚巴志ハーフマラソン・あやはしロードレース・古宇利島マジックアワーラン)
やるからには、とことんやりたい。
夜勤前に15㎞走ってから、少し仮眠をとって、出勤したこともあったほど。(笑)
今でも、時間を見つけては走りに行ったりすることも。健康的な趣味に出会えてよかった。
今は、こども達が大きくなったら一緒に大会に出てみたいなと思っています。
シンママ恋愛事情(少しだけ)
こどもが居てもちょっとは、私は、恋愛もしたよ。20代だったし、若かったから。
自分を高められることで、変な男は寄せ付けない。
こどもが居てくれたおかげもあって、中途半端な気持ちで寄ってきた人は、脱落していった。
そんな時、現在の夫と出会った。
夫が私を選んでくれたポイント「仕事をこんなに頑張っている女の人初めて見た。」だった。
これも、長男が居てくれたおかげ。こどもを守るために私が一生懸命やっていたから。
こどもが居なかったら、自分はここまで頑張れただろうか。
長男は、私にとって頑張る一番の原動力だった。
今の夫に出会えるレベルになれたのも息子がいて、自分が頑張ったおかげかなと思います。
貧乏な新人看護師時代
実家から引っ越しのときも、学生時代の友達がくれたテレビ、炊飯器などを使った。
リサイクルショップで買ったソファーベッド。
貧乏な新人看護師時代。光熱費込みのすごくリーズナブルな月5000円の寮
幽霊が出そうな雰囲気のところに住んで2年間お金を貯めた。
バカにする人も居たけど、それをネタに笑いを取った!(笑)
女性の中でも看護師はまあまあ稼げる。
飲み会三昧だった周り。
私は、実家に月5万円の仕送りをし、
使えるお金も月10万円までの制限付き。(アパート代5万3000円を含む)
自由になるお金が少ないことに不満もあった。
給料前に誘われる飲み会は、大抵、お金がなかったので
寝ていたことにして、いつも断っていた。
だってお金がないというのが恥ずかしかったから。
この時にはベランダ菜園にチャレンジするも知識・管理不足で失敗。
毎日、自炊をし、培った料理の腕。毎日弁当作りをして節約を心がけた。
実は、母が貯金してくれていた。少しは使われていたかもしれないが、そこは気にしない。
親が自分たちを育てるためにした借金を返す最後の手伝いができた。
のちに、未婚のシングルマザーになった私を親・妹たちが助けてくれた。
シンママでもそれなりに幸せだった
仕事を頑張っていたキャリアウーマン時代。
長男2歳で海外旅行デビュー、オーストラリアやシンガポールへも行った。
毎年、海外旅行に行ったり、国内旅行でスキーをしに行ったり、

ディズニーランドに行ったり
稼いだお金を長男と過ごす大切な時間に使った。
夜勤のあとは、エナジードリンクをグイっと飲んで
こどもとイベントに行ったり、公園巡りを楽しんでいた。
今思えば、あの頃はすごかった。若かったからこんなこともできたのかな。と振り返る。
シンママだったけど、私も息子も決して不幸ではなかった。
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シンママでも目の前の課題に真剣に取り組んだり、こどもの為に一生懸命頑張っているあなたは素敵。
今頑張っていることが、未来に繋がります。
周りに同じ境遇の人が居なくて相談できない。
過去の私のような人にこの記事を読んでもらえると嬉しいです。
人生生きていれば何が起こるかわからない。だって長いですから。
日々、自分磨き頑張っていきましょう。キャリアアップに趣味にこどもとの時間に。
今は、ICUのような現場最前線にはいないですが、看護以外の分野でも常に勉強は心がけています。
節約のこと、税金のこと、家庭菜園のことなど(自分の興味関心のあることから)
日々、色んな知識を得たいので、ネットリサーチ、読書もスキマ時間でやっています。
自分を磨けば、恋愛以外でも素敵な人に出会えるかもしれません。
人生は一度きりですからね。自分が幸せと思う方向に足を進めていきましょう。
これからも3人育児奮闘中、ワーママりこを応援してくださると嬉しいです。
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